令和4年度 一級建築士試験 学科I(計画)No.2は、都市計画の歴史に関する問題です。
この問題では、4つの記述のうち、最も不適当なものを選びます。
※ 問題文そのものは建築技術教育普及センターの公式PDFで確認できます。上記は、その4つの記述で問われている論点を整理したものです。
| 選択肢 | 正誤 | 解説 |
|---|---|---|
| 1 | ○(適当) | 平安京は朱雀大路を中心に右京・左京に分かれ、条坊制による格子状の街路網をもつ。適当です。 |
| 2 | ○(適当) | 江戸は江戸城を中核に、尾根筋(山の手)に大名屋敷、谷筋に町人地を配する地形対応の開発。適当です。 |
| 3 | ×(不適当) | エンデ・ベックマンが手がけたのは官庁集中計画。「帝都復興計画」は誤り。 |
| 4 | ○(適当) | 丹下健三研究室「東京計画1960」は、東京湾の人工地盤に都市の中枢機能を拡大する線形(リニア)の都市構造を提案。適当です。 |
選択肢3は、エンデ・ベックマンの計画を「帝都復興計画」とする点が誤りで、正しくは官庁集中計画です。
選択肢3は、ドイツのエンデ・ベックマン建築事務所が手がけた計画についての記述です。計画の名称が論点です。
明治政府は、近代国家にふさわしい官庁街をつくるため、ドイツのエンデ&ベックマンを招き、築地・日比谷・霞が関一帯に中央停車場や三角形の大街路、広場を配した官庁集中計画を立てさせました。選択肢3の内容(築地・日比谷・霞が関、中央停車場、三角形の大街路)はまさにこの官庁集中計画のものですが、計画名を「帝都復興計画」としている点が誤りです。帝都復興計画は、1923年の関東大震災のあとに後藤新平らが進めた、別の都市計画です。
ザックリ言えば、エンデ・ベックマン=官庁集中計画/帝都復興計画=関東大震災後(後藤新平)ということです。内容は合っていても、計画名が入れ替わっている引っかけに注意しましょう。
エンデ・ベックマンが手がけたのは帝都復興計画?
違います。エンデ・ベックマンが手がけたのは明治政府の官庁集中計画です。帝都復興計画は、関東大震災後に後藤新平らが進めた別の計画です。
出典
※ この記事の確認日:2026年6月
正解:選択肢3(これが最も不適当な記述)
エンデ・ベックマン建築事務所が手がけたのは、明治政府の官庁集中計画です。選択肢3は、これを「帝都復興計画」としていますが、ここが誤りなんですね。帝都復興計画は、関東大震災後に後藤新平らが進めたものです。
平安京・江戸・東京計画1960の記述は、いずれも正しい。エンデ・ベックマン=官庁集中計画(帝都復興計画ではない)と押さえましょう。